それすらもひどく甘い


政宗は案外こう見えて品が良い。
元親は政宗と食事を共にする度に、いつもそんなことを考えている。 普段異国語交じりの乱雑な口調を好んで使うので忘れてしまいがちだが、伊達氏の血筋はさかのぼれば藤原氏なのだ。 代々の旧家の生まれならば、時折見せる礼儀正しさも納得できる気がした。
濃紺の着物を纏い、元親の正面に座った政宗が箸を器用に使って魚の背骨を取った。身は僅かばかりも崩れていない。骨を皿の向こう側に置き、また身を口に運ぶ。
無駄のない、その流れるような動作に目を奪われるのを自覚しながら、元親も味噌汁を静かにすすった。 食事に集中するふりをしながらも、身体中の神経が密かに紺の着物姿の気配を探っているのが自分でも可笑しい。 背筋を伸ばして静かに箸を動かす様子はどこか触れがたく、別の人間に見えた。 まるでその空間だけが切り取られたように感じる。
それに少しの寂しさを覚えるが、それでも元親はその光景が好きだった。 魚の咀嚼を終えた政宗がふいに視線を上げ、元親の顔を覗き込んだ。
「Hey,どうしたんだよ。ボーっとしてんぜ」
まだ昨日の疲れが残ってんのか?と目元を細めていやらしく笑う。
たちまち先程までの政宗の周囲に在った空間は消え、そこにはいつもの政宗が残った。 んな訳あるかよ、と飽きれたように返しながらも、それを少し残念に思う。自分に欠けているものを目の前で見せられるのは嫌いではない。
「そりゃ問題だなぁ。昨日はかなり羽目外してやったつもりなんだが、疲れも残んねぇくらいアンタには余裕だったって訳か。ならちゃんと満足させてやんねぇとな」
「なっ、違ぇよ馬鹿!誰もそんなこたぁ言ってねぇだろ!!!」
舐めるような表情で身を乗り出してきた政宗に、慌てて叫び身を引く。 三ヶ月ぶりの再会に昨晩は二人ともただ無我夢中に互いを貪り合うだけで、余裕などあるはずもなかった。
相手の高い体温に思考も溶かされて、自分が何を言ったのかさえも朧げなのだ。
それでも政宗の欲に塗れた低いかすれ声や、絡んだ四肢の熱さ、二人の間で温められた空気の粘つくような温度、そんなものばかりは断片的に覚えていて、 それらが堰を切ったように思い出され元親は頬を赤く染めた。
手の甲を口に当ててなんとか頬の熱をやり過ごそうとするが、それで収まるはずもない。 そんな恋人の様子に満足したのか、政宗は元親の太腿に這わせていた手をどかすと元の位置に座り直した。
今は元親をからかって遊ぶよりも、呆けていた理由のほうが気になるらしい。
「で、何なんだよ。悩み事か?」
「べ、別に悩みって訳じゃねぇよ。ただ……」
「ただ、なんだよ」
「怒んなよ」
「怒んねぇよ」
政宗が微かに笑って、子供をあやす様に小首を傾げる。
それに普段とは立場が逆転した様な妙な違和感を覚えながらも、元親はばつが悪そうに唇を尖らせて言った。
「ただ、政宗ももう少しぐらい行儀良くすりゃいいのにって考えてただけだ!」
さすがに食事の動作に魅入っていたとは気恥ずかしくて言えなかった。別に嘘じゃねぇよな、と心の内で呟き一人納得したように頷く。
それに何を思ったか、政宗は突然顔を伏せると肩を小刻みに震わせ始めた。 元親が不思議に思って覗き込むと、相手は必死に笑い声を噛み殺している。
「なに笑ってんだよ!」
「いや、今日はやたらこっち見てんなと思ったら……」
ぶは、と抑えきれないように噴き出すと今度は遠慮せずに大きく笑い声を上げた。 快活な声は朝の澄んだ空気によく通って部屋中に響いた。
元親は止まらない笑い声と盗み見を気付かれていたことに余計居心地の悪い思いをしながら、政宗の笑いの嵐が去るまでじっと耐えた。 その表情はすっかりふて腐れている。
ようやく政宗は落ち着きを取り戻すと、まだ笑いの波が残る表情で言った。
「いいか、元親。そりゃ俺だってやろうと思えばもっと行儀良くできるぜ?改まった言葉遣いもできるし、茶だってこなせる。 小十郎はそういうのに厳しいからな、一通りの教養は身に付けたぜ?」
「じゃあ何でこんな風になっちまったんだよ」
「こんなって、あんたなぁ……。いいか、これにはちゃんしたと理由があんだよ」
「理由?」
粗雑な態度を装う理由?何だろう、下克上を狙う家臣を油断させるため、とかだろうか。いや、この場合無理があるな。普通なら言葉遣いとかそういうものじゃなく普段の行動で騙すものだろう。 それじゃあ単なる主義の問題とかか?
深く内へと没頭しそうになる元親の思考を、政宗の自信に満ちた声が断ち切った。
「だってよ、あんまり行儀良くしすぎて元親がこれ以上ないくらい俺に惚れちゃ大変だろ?」
「はぁ!?テメェふざけてんのか!」
「別にふざけてねぇよ。あんたが未だに白馬の王子様みたいなのに憧れてんの知ってんだぜ」
思わず言葉に詰まる元親に政宗は意地の悪い顔をした。そう言われると元親が反論できないのを知っているのだ。
元親は姫若子と呼ばれていた幼少期の自分を既に捨て去ったつもりだが、 それでも中々取れない染みのように、変わらない嗜好を未だ幾つか持ち続けいるのを自覚していた。
例えばそれは甘く見目の良い京菓子に目がないことだったり、流石にもう自分で着ることはないが、女物の着物の刺繍を眺めるが好きだったりする。 幼少の頃から好んでいたそれらを目の前にすると、どうしても頬が緩むのを止められないのだった。 戦場を駆け回り、軍の指揮を執るようになった今でもそれは変わらず、そんな自分を元親は常々恥ずかしく思っていた。
政宗の言葉に思い当たる節がない訳でもないが、それを指摘されて自己嫌悪を抱きさえすれ、嬉しく思うはずがない。 急降下する機嫌のままに、元親は眉を寄せて言い返した。
「そんなことねぇよ!つーか政宗は王子って柄じゃねぇだろ。せいぜい姫をさらう盗賊かなんかじゃねぇか」
「あっ、テメェ言いやがったな!じゃあ勝負だ勝負!」
おう、勝負勝負!と元親もその場の勢いのまま意味もなく政宗と同じ言葉を繰り返す。 塀の外から甲高い子供のはしゃぐ声が聞こえた。 今日も平和な朝だった。


***


畜生、何で俺はあんなこと言っちまったんだ!
元親は先程から中々上手く働かない頭をなんとか奮い立たせてそう考えた。
今、元親は政宗と奥州と四国の連合軍で北条を攻める計画を話しているところだった。 それにも関わらず、耳は音を拾ってきても、それを上手く言葉に変換できなくて話が全く頭に入って来ない。 台の上に置かれた地図に集中しているふりをするのに精一杯で、あぁとかうんだとか、寝惚けたような相槌しか口からは出てこなかった。
時折あまり下ばかり向いていては変に思われるのではないかと思って、何とか元親は政宗の顔を見ようと顔を上げる。けれどその度に深い夜の色をした真摯な眼差しと目が合って、なぜかまた顔を伏せてしまうのだった。
心臓の音がうるさ過ぎて、政宗に聞こえるのではないかと気が気でない。
「それならば、やはり東西両軍による挟撃が一番有効でしょう」
聞きなれた声が元親の鼓膜をくすぐった。一気に鼓動が跳ね上がる。
それくらい、普段と違う柔らかい物腰と格式ばった言葉遣いの政宗は、元親の琴線を刺激した。どうやら政宗の言葉を否定できそうにない自分が恨めしい。
政宗が背筋を整え、着物の裾をしなやかな動作でさばき、地図の上に描かれた四国・奥州両軍の動きを指でたどる。 六刀の刀を扱う手の関節は太いのに、その先に続く指は墨で線を素早く描いたように長く細かった。
元親は地図の図を追うというよりも、政宗の指を見つめながら話を聞いていた。
何も話そうとしない元親に、政宗が怪訝な表情で尋ねる。
「元親殿、どうかされたのか」
「え、い、いや何でもねぇ!」
ビク、と跳ね上がるようにして元親は顔を上げた。元親殿?何だそりゃ!
思わずそう叫びたくなったが、政宗の全く他意のなさそうな顔を見ていると結局何も言えなくなって、元親は口を閉じた。 いつもの政宗ならここで元親をからかいに出るだろうに、穏やかに微笑んでいるものだから、どうも調子が狂う。
落ち着いた様子で静かに座る姿は厳かで、これぞ奥州筆頭伊達政宗という貫禄があった。それを見ていると、何か自分一人だけがのぼせ上がっているようで、恥ずかしくなる。元親は足を組みかえると、仕切り直すように大きな声で言った。
「ほ、補給路はどうする」
喉の粘膜が張り付いて変にどもってしまう。それを政宗は笑うでもなく、少しだけ目元を緩めると、一つの海路を指差した。
「長曾我部軍には、この海路を使って船で補給を行って頂きたい」
「それは構わねぇが、一つ問題がある。最近手に入れた情報なんだが、北条はどうやら今川と手を組むらしいぜ。そうなると、北条に余力が生まれる。つまり―――」
「途中で隊列が分断される恐れが出てくる」
「そうだ。補給線が長いから、余計その可能性は高い。それで考えたんだけどよ、うちの水軍を二隊に分けてだな……」
そう言って元親は政宗の脇に置いてあった筆に手を伸ばした。すると政宗も、それに気付いて筆を取ってやろう手を伸ばし、互いの指先が触れ合った。
「わ、」
瞬間、触れた指先から火傷を起こしたように熱い電撃が走り、元親は思わず手を引込めた。沈静していたはずの羞恥が瞬く間に込み上げてくる。顔が熱い。 そんな自分の余りにも女々しい態度が余計気恥ずかしくて、更に頬が赤く染まった。 脳内が赤く染まって何も考えられなくなる。
元親は意味もなく、ただ地図に書かれた奥州の文字を凝視し続けた。 とうに気付かれてはいるだろうけれど、それでも赤くなった顔を見られるのが嫌で顔を上げることができずにいた。
不思議と政宗も何も話そうとせず、沈黙が耳に痛い。 ただ治まることを知らない心臓の音だけが、体の中で乱暴に響いているだけだった。
親の仇の様に睨み付けていた奥州の文字にジワリと黒い筋が流れてくる。 先程取り落とした筆からその細い流れができて、紙を醜く汚していた。
「あ、す、すまねぇ」
「元親殿」
視界の端の濃紺が動いて、元親の筆に伸ばされた手を上から握り締めた。
暖かな体温に、びくりと身体が震える。 それに政宗が微笑みをもらした気配がした。そして赤い元親の右耳に顔を寄せて囁く。

「お慕い申し上げております、元親殿」

その言葉に、元親の頬がこれ以上ないというほど赤く染まった。首筋まで薄く色付いている。
もうとっくに限界を超えた思考は飽和状態で、まともに指一本動かすことが出来ない。 握られた手から伝わる温度が伝染して、全身がただひたすらに熱かった。 そんな状態のまま動くことも出来ず俯き続ける元親の額に、政宗が軽く口付けた。
「な、だから言っただろdarling」
そう言って甘く笑う。元親は消え入りそうな声で、ちくしょう、と呟いた。それが悔しさからなのか何なのか、元親自身にもよく分からなかった。



(08/0312)