爆弾 ガキの頃から変に冷めてた俺は恋や愛なんていう甘酸っぱい気持ちとは無縁で育ったが、大学に入り、唇に煙草のフィルターが馴染むようになってから初めてそれを知った。相手は長曾我部元親。工学部の恋人は、でかい図体に似合わず手先が器用だ。 今日もチカの部屋の中には工具やらドライバーやら色気のない物ばかりが床の上に散らばり、パーカーを着た広い背中は手元の訳の分からない回線に夢中になっている。文系の俺とは全く馴染みのない電気コードは、今の俺の気分と同じ苛立ちの赤。無機物相手に嫉妬するほど俺も落ちぶれちゃいないと思いてえが、噛み締めた煙草から押し出された中身が口内を苦く汚していた。思わず指を突っ込んで欠片を取り除くも、舌先に残った苦味が余韻を引く。全く持って全てが俺を不愉快にさいなんでいる。 「チカぁ」 後ろから抱き着いて、その真っ直ぐに身体を貫いてる背骨に頬を擦り付けるも反応なし。いい根性してるじゃねえか、チカ。試しに腕に力を込めてみたが、結果は全く同じだった。チカの意識も視線も何もかもが配線に吸い寄せられたまま、その声も指先の温度さえ一片も俺に与えちゃくれやしない。 次第に本気で腹が立ってきた俺は、衝動的に元親の首筋に歯を立てた。歯の生え揃ってない赤ん坊がやるように何度か軽く食んでやると、いてぇと非難の声が上がる。痛くなんかねえくせに。少しばかり機嫌を直した俺は、肩口に薄く付いた歯形をひと舐めしてようやく顔を離した。 元親に出会ってからの俺は、どうもいけねえ。どうも据わりが悪い。膨らんではしぼむ背に再び頬を付け、俺は思う。その据わりの悪さを明確な言葉にするのは難しいが、例えば今までの俺なら他人の背に抱きついて安心を得ることなんざ絶対になかった。いや、正確にはあったのかもしれねえが、今やその記憶は遠い過去の中にある。右目を失うまでは傍らにあった母親の温かな腕も、幼い頃怖い夢を見たとき眠るまで握っていてくれた小十郎のごつごつした手の感触も、今では薄霧の向こうに沈んでいる。 今まで一人で居ることに慣れていたせいかもしれねえが、他人の肩に寄り添って安心するという今の自分に落ち着かないことだけは確かだった。いや、しかしそう考えるのと同じ頭で、こうして元親を離したくないと思っているのだから違うのか。元親に出会ってからというもの、俺はどうもおかしい。 ………何だか考えている内に頭がごちゃごちゃしてきた。畜生、それもこれも全部チカのせいだ。 すると丁度その瞬間を狙ったかのように、元親が首を曲げて俺の方を見た。少しだけ心臓が跳ね、俺は息を呑む。こいつにはどうも無意識の内に人の思考―――或いはタイミングを読むところがあって、俺は今までそれに何度も驚かされた。まるで生まれつき本能に備わっている機能のように、実に自然にやってのけるから誰もが抵抗することなくあっさりと元親を受け入れる。俺にとってそれは敵を増やす行為と同義なので止めて欲しいところだが、本人も無自覚の事だし、何よりも俺自身が元親のそういう所に救われているので文句を言えるはずがない。 「こういう配線の多い機械見てるとよ、なんか映画とかで見る時限爆弾思い出さねえ?」 「いきなり何言ってんだ」 俺の方を見向きもしなかったくせに、と半ば不貞腐れながらも素直に元親の肩に顎を乗せ、手元の機械を覗き込めば、なるほどそれは所謂時限爆弾と良く似ていた。小さな精密機械の間に張り巡らされた配線のジャングル。赤に青、黒に緑と色とりどりに根を張っている。 「こういうのって大体どれか一本だけが正解で、他の切っちまうと爆発すんだよな」 おもむろに元親が側にあったペンチを手に取り、二本の配線を選び出す。赤と黒。元親が好きな色の組み合わせだ。 「政宗ならどっちを選ぶ?一歩選択を間違えりゃ、そのままあの世逝きだぜ」 ニヤリと引き上げられた唇は楽しげな笑みを敷いている。 「……黒」 俺は少し迷ったあと、その色を選んだ。特に深い意味は無い。ただその時視界に映った元親気に入りのグラスが薄い赤色だったので、何となく赤を選び辛かっただけだ。 恐らく脳裏に映画のクライマックスシーンを思い浮かべてるだろう元親が、大げさなほど慎重な動作で黒の配線だけを手に残し、ゆっくりとペンチを食い込ませる。俺の頭の中で、ありもしない電子音が爆発までのカウントを刻み始めた。奇妙な錯覚が俺の全身を満たす。 徐々に蝕まれていくコード。 十、九、八、七、 もし爆発したら、俺はどうなる? 六、五、四、三、 五感も、記憶も、元親への想いも何もかも散りぢりになって無くなるのか? 二、一、 そうすれば、この戸惑いからも開放されるのか? そんなことを考えちまう俺は、元親を裏切っちゃいねえのか? ゼロ。 ―――いつか何処かで聞いた事がある。死の瞬間と云うのは全てがスローモーションのように遅く感じられるものらしい。 切り裂かれたコードが、身悶えるように肢体をくねらせた。ペンチを床に置いた元親が、力強く身を起こす。肩に確かな手の感触が触れる。ゆっくりと視界に天井が映り、銀の髪が宙を彩る。背に衝撃が走り、 「あーあ、爆発しちまった」 俺の腹の上に馬乗りになった元親が、形の良い歯を見せて笑った。肺一杯に吸い込んだ空気が元親の匂いをしていて、驚いていて固まっている間に深い青の瞳が近付き、ぼやける。やがて再び元親の顔の輪郭が目に入るようになり、そのとき初めて唇に触れたものが元親の唇だと知った。 「機嫌直ったか?」 俺はそのとき胸に込み上げてきた感情をどう表現すれば良い。戸惑いも無い、不安もない、ただそこにあるのは元親だけだ。何もかもが飛び散った中で、ただ切ないほどはっきりと胸に焼き付いているのは元親への想いだけだ。 「直らない訳ねえだろ」 その白い両頬を包み、引き寄せる。こつりと合わた額が温かかった。 チカはいつもそうやって俺を救う。 お願いだチカ、そうやっていつも俺の戸惑いを、何もかも全てをアンタの力でふっ飛ばしてくれ。そうしてずっと俺の隣に居てくれ。 (08/0924)
チカちゃんは政宗がどっちを選んでも同じことするつもりでした。
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